「外環の2」とは、高架式高速道路である「外郭環状線(外環)本線」(外環の東京都内区間のうち、関越道から東名高速までの約16kmの区間)の一部区間(目白通りから東八道路までの約9km)について、「外環本線」の高架が作られることを前提として、その高架下部分を有効利用すべく計画された地上部道路である。
「外環の2」は、「外環本線」と同時に、1966年に都市計画決定がされた。
しかし、成熟した住宅街を形成している計画区域の住民らの激しい反対運動を受けたことなどにより、1970年に当時の建設大臣が計画の凍結宣言をし、計画は事業化も廃止もされずに長期にわたり放置されていた。
1990年代に入り、「外環本線」建設の動きが再燃し、石原都知事は、2006年4月の東京都議会定例会見において、「地下工法でやるので地上に暮らすみなさんは安心してもらいたい。」との発言をした。
これを受けて、地域住民らは、「外環本線」は地下化され、それに伴い地上部の「外環の2」計画はなくなるものと思い、安心して暮らしていくことができると考えていた。
2007年4月、東京都は高架式であった「外環本線」を大深度地下式にする旨の都市計画変更決定をして建設への動きが本格化することとなった。
ところが、東京都は、「外環本線」の地下式への変更決定後も、「外環の2」計画を廃止せず、むしろこれを将来事業化する態度を表明するに至った。
そこで、「外環の2」都市計画区域内に居住していた故上田誠吉弁護士が「外環の2」都市計画決定の無効確認等を求めて、2008年10月に東京都を被告として東京地方裁判所に提訴したのが「外環の2」訴訟である。
訴訟では、大きく分けて以下の2点が争点となっている。
東京都は、これまで訴訟の中で再三にわたって「『外環の2』計画については、廃止も含めて今後どうしていくのかを住民の声を聞いて検討中である。」と主張してきた。ところが、東京都は、2012年9月27日、突如として、外環の2計画の一部区間につき、事業認可申請を行って認可を取得し、その旨を告示した。これは、東京都の訴訟における主張と全く相容れないものであって、住民はまた騙されたと言える。東京都は、住民は言うに及ばず、自らの主張にも反してまでも強硬に「外環の2」計画を推し進めようとしており、矛盾を孕んだ言動を繰り返している。
都市計画法は、住民等が、一定の条件のもとで、都市計画決定権者に対し、都市計画決定あるいは変更決定の提案をすることができる旨規定している(同法21条の2)。
そこで、計画決定区域内の杉並区住民有志が、この都市計画提案制度を利用し、「外環の2」都市計画決定を廃止決定する提案を東京都へ行う準備が2011年の間進められた。
同法の提案は、①原則5000㎡以上の一団の土地の区域を対象とし、提案に関し、②同区域内の土地所有権者等の3分の2以上の同意、及び、③その同意者の所有土地の総地積が対象地積の3分の2以上であることなど、という厳しい条件が課されているが、杉並区のある地域において提案申請の準備を進めたところ、約10802㎡を対象とし、同地区内の土地所有権者等の77.9%が「外環の2」廃止決定提案に同意、その同意面積は80.8%に及び、提案条件を満たすに至った。
当弁護団は、提案申請の準備を行った住民の方々とともに、2011年末、提案申請を行いに都庁へ赴き、申請書類一式を提出した。
提案申請段階において、東京都は、申請を受理することを頑なに拒絶したが、このように法制度を利用して明確になった「外環の2」廃止を求める住民の方々の声を無視するなどもはや許されないのであり、東京都は申請の正式受理とその後の真摯な対応を早急に行うべきである。